第八話  根尾西谷川はU (上)  

私が 根尾西谷川の大河原地区へと向かったのは 昭和50年夏の事でした。
当時の国道157号線は 国道とは名ばかりの悪路で 能郷上部の倉見街道と呼ばれる 切り立った
山肌の中程に付けられた道は ガードレールもほとんど無く 落石も多い まさに悪路とはこの事の
一言です。  < 酔いどれ渓師の一日 第二話 根尾西谷川は より>

  倉見街道を望む<1977>

根尾西谷川のベストポイントへと向かうには 

最大の難所である倉見地区を抜ける事が

必要と成ります。

(現在は 根尾東谷川は上大須より越波地区

経由にて入る事も可能となり  更に新道も

作られ 越波より猫峠超えで大河原に向かう

事も出来るようになっている。)


そんな倉見街道が 山肌の大崩落にて寸断

された事が有る それは20年程前の出来事

だった。

TV の画面上には 見慣れた景色の中を

人程の大きさの岩や 土砂が横切って行く
何なんだ! 昨日通ったばかりなのに あー見覚えの有る路肩の木々も土砂になぎ倒されて行く 

TVニュースがいつか別の話題に移っても 画面から目を離せなかった。

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翌年 きついアプローチ覚悟で根尾西谷川を一人目指す ”何故この時に”と訊かれれはしたが。
ただ根尾の流れが見たいから・・・・・その時は 自分を試したいと考えていたのかもしれない ?。

能郷の部落を過ぎ 全面通行止の看板が出ている ゲート前へと付いたのは午前3時 まだ夜明には
間が有る 復旧工事に入る車両の往来を考え ここならと思う路肩のスペースへ車を突っ込み下車
 履き替えの地下足袋に 行動食 僅かばかりの釣具を詰め込み背負う 明かりは持ってこなかったが
なに 通い慣れた車道の歩きだ 問題は無いだろう ゲートを超えると その先に続く道は闇の中を
ぼんやりと今日の行き先を示している。

       黒津集落に掛かる橋<1977>
闇に支配された人気の無い道を ただ黙々と
歩き続ける 歩を止めると体の熱気が湯気と
なって立ち上る どうやら気温は少々低そうだ
 先刻より 向かう道の闇の中から 何やら
気配を感じ取る それは私の前を先へ先へと
導き つられるように若干早足で後を追う。

夜明も もう近いのか 段々と開けつつある
視界と 吹き上げる谷風にざわめきだす木々
気配の主は 立ち止まりこちらを窺って居る
近づいて行く程にハッキリとしてきたその姿は
サット崖下へと身を隠す    狸か!
崖下を覗いて見るが その姿は無く気配も
消えた。 顔を上げると件の大崩落現場が
ぼんやりと見えて来て 近づく程にその規模
と荒々しさが見て取れる。

現場へと立つて 山の頂きから遥か下方の
根尾の流れへと スパット切り裂いたような
崩落痕を覗いて見る 道から300m程は
有るのか 西谷川の蒼い流れが 何の邪魔
も無く見て取れる 足の震えが止まらない。
復旧工事も まだ手を付けたばかりの様で
国道の有った位置に 人一人が立てそうな
踏み後を見つける 足がすくむ。
足を滑らせ滑落すれば 万が一にも助かる
事は無いだろう 100m程の踏み後が 
とてつもない距離に見えてくる
覚悟を決め 頼りない踏み後へと乗り出す

・・・・・・・・下を見ずに なんとか渡りきると
この場から逃げるように先へと急ぐ。

  引き付けて止まなかった根尾の野生<1977>
<酔いどれ渓師の一日 第九話 根尾西谷川はU(下)へつづく>
              
                                      OOZEKI